社会の臨界点はどこにある?

マドリード市の副市長であるパブロ・ソトさんは2011年5月15日に起こったデモについてこう話しました。

その日起こったことは、とっても予測できないことでした

スペインの50都市でデモがおこり、

国中で何10万という人びとが通りに出ました

仕事が欲しい、家が欲しいではない、福祉や教育でもない

たったひとつの要求は、

今こそ本当のデモクラシーを

デモに参加したみんなは

何かとても大きなことが起こっていると感じていました

政党も労働組合もサポートしていないデモに

インターネットで人が集まりました

これは、スペインの感覚を本当に変えてしまいました

メディアは、高い失業率や緊縮財政、汚職に抗議してデモが起こったと報じるばかりですが、大事なのは、こうした人びとに意識の変容のような何かがあった事、そしてそれがその後の活動の原動力になって、確かに社会が変わりだしている。フォーラムにはソウルの副市長はじめ韓国からもさまざまな人が来ていて、その話も聴きけましたが、彼らのキャンドル革命も同じような意識の変容があるようです。そして、大統領が国民の意向をくみ上げる形で、直接民主条項を盛り込んだ改憲案を今年国会に提出しています。

 

私は、2004年のイラク人質事件の時に、ほとんど国会前に人が集まらないことに深い失望を覚えました。

誰もが言いがかりとわかる理由で始めた酷い戦争に自衛隊まで参加し、お陰で現地の民間人が犠牲になるだけじゃなくて、日本のNGOの人たちまで拘束された。でも、それは自己責任だと言って、彼らを救おうとしない、誰も。

一番ショックだったのは、私にとって身近な政党幹部の人たちが、すぐに自己責任論を擁護しだしたこと。私は、その時以来、政治家って信用できないと思っています。国民を守ろうというマインドが根っこにないんだから。

原発反対でたくさんの人がデモに集まった。なるほど、自分に火の粉が降りかかると、少し動き出すんだねと思いました。

それから、安保反対のデモ。「昔は組織の動員で集まっていたけど、今は違うね」と言う声を参加していたお婆ちゃんから聴きました。それなりに進化しているんですね。

 

日本人は、基本デモなんて行かない。そもそも政治の話はタブーになっている珍しい国。そして数少ない人がデモに行っても、政府のやることに反対するのが目的で、じゃあ、そこからどういう社会にしようかとディスカッションして提案するということもない。ついでに日本の署名集めについてもなかなか興味深いものがあります。1000万とか、途方もない数を集めているけど、民主主義という前提の社会で、集めた署名に法的拘束力をもたせようという動きはほとんど皆無です。願いがかなわなかった署名の数でいえば、世界のベスト10を日本が独占しているに違いありません。

かなり絶望的な感じがします。実は、日本の相対的貧困率は、世界屈指に悪く、もちろんスペインや韓国よりも高い。雇用の意識がとても従属的で、低賃金長時間労働に甘んじていているから、そういう結果になっています。

でも、今回話を聴いていて分かったのは、日本社会でも大規模デモが自然発生する臨界はあるに違いないということでした。臨界点というのはきっと「こんな社会じゃ、自分の尊厳が保てないよ」という個人の思いがふつふつと湧き出て、それを多くの人が共有しだすポイントだと思います。日本人は、あきらめと特有の妙な忍耐力がそのポイントを大きく下げてしまっている。でもやっぱり同じ人間だから、それは必ずある。

それは消費税がまた上がるときかもしれないし、オリンピック後のリセッションかもしれない。次の金融危機も遠くないだろうし、行政の醜悪なスキャンダルもまだまだ続くでしょう。そうして人の臨界が来たとき、ちゃんと世界で起こっている先進的なこと、本当に大事なことが知識としてある程度共有され、ソリューションが提示できたら、次の社会は拓けるに違いない。

そんなことを今回感じました。

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