スイス、バーゼルからフランス国境沿いを南西に電車で1時間ほど行ったところにサン・テュルサンヌという小さな街があります。
2017年5月末にアンディ・グロスさんにお会いするために訪ねました。静かな静かな美しいところです。
グロスさんはダイレクト・デモクラシーの専門家として長い間活躍しています。スイス・インフォの記事に詳しく書かれています。
サン・セバスティアンで初めてお会いした時にうかがったのですが、グロスさんは神戸で生まれて7歳まで過ごしたためにもちろん親日家で、若いころ広島を訪れたことも自身の活動に大きな影響を与えたとのことでした。
川沿いにあるグロスさんのお宅で、軍隊廃止のイニシアチブを中心にお話を伺いました。
東西冷戦の終焉を象徴するベルリンの壁の崩壊の直前に行われたスイスの軍隊廃止の国民投票は、ヨーロッパにセンセーションを起こし、記録的な投票率の中で36%もの人が賛成票を投じました。徴兵制のもと長く聖域化されてきた軍隊に対する国民の意識は一変し、結局、軍隊の規模も予算も半減されます。
このイニシアチブを記録した冊子の表紙には「ユートピア」という言葉がありましたが、これがまさに市民が主体となって社会を進化させようとするイニシアチブの草分けだったと言えるでしょう。
以下はグロスさんの洞察に満ちた内容の深いインタビューです。是非ご覧ください。
スイスでは年に4回の国民投票があり、毎回、自治体、州、連邦のレベルでさまざまな案件について市民ひとりひとりが直接賛否を投じます。それは法的拘束力をもつので過半数を取ったら、その決定に従って憲法まで頻繁に書き換えられています。
ひるがえって日本の憲法がおかれる状況ですが・・・
あたかも、私たちの国の憲法には9条ひとつしか条文がないようで、長い間、この条文を変えて軍隊をもつことだけを「改憲」と呼び、それに反対するのは「護憲」と呼ばれました。
護憲とは、まるで憲法を戦前の御真影のように国民がありがたくおまもりすること。それに指一本でも触れたらタタリでも起こるようで、偉い学者たちはそのありがたい条文の解釈に勤しんであれこれ理屈を並べるけれど、その条文を変えるなんて、とんでもない!話題にすることさえ、けしからんという空気です。そもそも、憲法というのは国民を公権力の横暴から守るためにあるんだから、憲法をまもる義務があるのは、公権力をもつ人たちで、国民は自分たちの権利をより強化するために、憲法をよりよいものにしてゆくのが、民主主義のスジなのに、残念ながらそれを理解している人がほとんどいない。
そもそもどうして憲法9条ができたのかというのは、政治的な思惑のために諸説あるように見せかけられているけど、当事者の証言から事実は明らかだと言えるでしょう。
当時の首相の幣原喜重郎が、天皇の追訴を免れるためにマッカーサーに武力の放棄を進言し、マッカーサーがそれを了承して草案に盛り込まれた。
しかし、9条のお陰でその後すぐに始まった朝鮮戦争にさえ日本を動員できなくなってしまっために、アメリカ本国はすぐに方針転換をしました。
CIAが資金提供して自民党をつくらせ、彼らに改憲・再軍備路線を走らせた。しかし、日本人の「もう戦争はまっぴらごめん」という世論を変えることはできず、左派は「憲法を護ろう」と言いさえすればある程度の議席が確保できる。そういう構図が固定化し、さらに若者の政治的な無関心を背景に、当時の人たちがいまだに言論の主流派として君臨し、全体として思考停止状態が長く続いている。
憲法9条のお陰で、以後、ベトナム戦争はじめアメリカの戦争に付き合わずに済んだということは紛れもない事実です。隣の韓国はそれがないばかりに、毎回アメリカの戦争に付きあわされて、少なくない犠牲をだしつつ、もちろん加害にも加担しています。そして、残念ながらこれからは日本も戦争に付き合わされる羽目に陥ってしまいました。
一方で、歴史を振り返ると、9条以前から、そもそも日本は他国から侵略行為を受けた経験はゼロと言ってもよいという事実があります。これは、誰も言わないけど大事なことで、しっかり気に留めておく必要があります。
もし幣原がマッカーサーに進言しなかったら、その後の歴史は随分変わったに違いありませんが、一方で、日本の憲法に、スイスのような直接民主条項があったら、社会はどうなっていただろうか?と想像を巡らせてみることは、とても大事だと思います。
みんなが想像しだしたら、そこから創造が始まる。
私だったら、自衛隊廃止の国民投票を仕掛けたいと思いますが、もし実現したら、結果はどうなるでしょう? とんでもないことになるかも知れません。
そして、一回で自分の願いがかなわないとしても、時間かけて、アピールの仕方を練り直して、できるまでやればいい。
そういう制度があるということは、本当に素晴らしく、かけがえないと思います。